正当防衛の主張が認められるための要件と、フィリピン法における不意打ちの定義
G.R. No. 192465, 2011年6月8日
フィリピンでは、刑事事件において被告人が正当防衛を主張することは少なくありません。しかし、正当防衛が認められるためには、被告人側がその主張を裏付ける十分な証拠を提出する必要があります。もし、被告人の証言のみに頼り、客観的な証拠や目撃者の証言と矛盾する場合には、正当防衛の主張は退けられる可能性が高いでしょう。本稿では、最高裁判所が正当防衛の成否と不意打ちの認定について判断を示したエスクイベル対フィリピン国事件(G.R. No. 192465)を詳細に分析し、実務上の重要なポイントを解説します。
事件の概要と争点
本件は、アンヘリート・エスクイベル(以下「被告人」)が、クラーク・バロロイ(以下「被害者」)を刺殺した殺人事件です。事件当時、被害者は自宅前で手を洗っていたところ、被告人に突然腹部を刺され、死亡しました。被告人は、第一審及び控訴審において一貫して正当防衛を主張しました。被告人の主張によれば、被害者が先にナイフで襲い掛かってきたため、これを阻止するためにやむを得ず反撃したとのことでした。しかし、事件を目撃した被害者のいとこであるガボイは、被告人が被害者に近づき、背後から突然刺したと証言しました。裁判所は、目撃者ガボイの証言を信用性が高いと判断し、被告人の正当防衛の主張を認めず、殺人罪で有罪判決を下しました。本件の主な争点は、①目撃者証言の信用性、②被告人の正当防衛の主張の成否、③不意打ち(treachery)の認定の可否でした。
フィリピン刑法における正当防衛と不意打ち
フィリピン刑法第11条1項は、正当防衛を免責事由の一つとして規定しています。正当防衛が成立するためには、以下の3つの要件を満たす必要があります。
- 不法な攻撃(Unlawful aggression):正当防衛の前提として、まず被害者からの不法な攻撃が存在する必要があります。
- 合理的な必要性(Reasonable necessity of the means employed to prevent or repel it):防衛行為は、不法な攻撃を阻止または撃退するために合理的に必要とされる範囲内で行われる必要があります。
- 挑発の欠如(Lack of sufficient provocation on the part of the person defending himself):防衛者は、相手を挑発するなど、攻撃を誘発する行為をしていない必要があります。
これらの要件が全て満たされた場合に限り、正当防衛が認められ、刑事責任を免れることができます。しかし、正当防衛を主張する側が、これらの要件を全て立証する責任を負います。単に「正当防衛だった」と主張するだけでは、裁判所はそれを認めてくれません。
一方、殺人罪を重く処罰するための加重事由の一つとして、刑法第248条には「不意打ち(treachery)」が規定されています。不意打ちとは、相手に防御の機会を与えないように、意図的かつ不意に攻撃を加えることを指します。具体的には、攻撃者が、被害者が防御できない状況であることを認識しながら、安全かつ効果的に犯行を遂行する意図をもって攻撃した場合に、不意打ちが認定されます。不意打ちが認められると、通常の殺人罪よりも重い刑罰が科されることになります。
最高裁判所の判断:目撃証言の信用性と正当防衛の否定
最高裁判所は、控訴審の判断を支持し、被告人の上訴を棄却しました。最高裁は、まず目撃者ガボイの証言の信用性について検討しました。裁判所の判決文には、以下のように述べられています。
「ガボイは、被告人が被害者を刺した人物であると明確に特定しました。弁護側による徹底的な尋問にもかかわらず、ガボイの証言は率直、直接的、かつ確固たるものであり、事件の経緯に関する彼女の供述は一貫していました。」
最高裁は、ガボイが事件の目撃者として、犯行状況を詳細かつ一貫して証言しており、その証言内容に矛盾や不自然な点がないことを重視しました。また、弁護側は、ガボイが被告人を陥れる動機がないことを認めており、ガボイの証言の信用性を否定する理由はないと判断しました。
次に、最高裁は、被告人の正当防衛の主張について検討しました。被告人は、被害者がナイフを持って襲ってきたため、やむを得ず反撃したと主張しましたが、最高裁は、被告人の証言は自己弁護に終始しており、信用性に欠けると判断しました。裁判所は、被告人が正当防衛を立証するための十分な証拠を提出していないと指摘し、以下のように述べています。
「正当防衛の主張が認められるためには、それを主張する者が、殺害行為が正当化されるものであり、自身に刑事責任がないことを、確実かつ説得力のある証拠によって証明しなければなりません。被告人の証言は、裏付けがないだけでなく、極めて疑わしいものでした。」
最高裁は、被告人が正当防衛の成立要件である「不法な攻撃」の存在を立証できていないと判断しました。目撃者ガボイの証言によれば、被害者が被告人を攻撃した事実はなく、むしろ被告人が一方的に被害者を攻撃したと認定されました。したがって、正当防衛の主張は認められませんでした。
不意打ちの認定とその法的効果
最高裁判所は、第一審及び控訴審と同様に、本件において不意打ちが成立すると判断しました。裁判所は、不意打ちの定義について、以下のように説明しています。
「不意打ちの本質は、犯罪の実行者が、防御の機会を奪われた無警戒な被害者を、突然かつ予期せぬ方法で攻撃することにあります。これにより、攻撃者は自身のリスクを冒すことなく、また被害者からの挑発を受けることなく、犯行を確実に遂行することができます。」
本件では、被告人が刃物で武装し、被害者が背を向けて手を洗っている隙を突いて、突然攻撃を加えたことが不意打ちに該当すると判断されました。被害者は、全く予期せぬ状況で攻撃を受けたため、防御する機会を奪われました。このような攻撃方法は、攻撃者である被告人にとって安全かつ確実な犯行遂行を保証するものであり、不意打ちの要件を満たすとされました。不意打ちが認定された結果、被告人は、通常の殺人罪ではなく、より重い刑罰が科される殺人罪で有罪となりました。具体的には、終身刑(reclusion perpetua)が言い渡されました。
本判決の教訓と実務への影響
本判決は、フィリピンにおける刑事事件、特に正当防衛が争点となる事件において、重要な教訓を与えてくれます。本判決から得られる主な教訓は以下の通りです。
- 正当防衛の主張は、客観的証拠に基づいて立証する必要がある。被告人の自己弁護的な供述のみでは不十分である。
- 目撃者の証言は、事件の真相解明において極めて重要である。特に、利害関係のない第三者の証言は、高い信用性が認められる傾向にある。
- 不意打ちの認定は、犯行状況の詳細な分析に基づいて判断される。攻撃の予期可能性、防御の機会の有無などが重要な判断要素となる。
実務上、弁護士は、正当防衛を主張する事件においては、被告人の供述だけでなく、客観的な証拠(例えば、現場写真、鑑定書、目撃証言など)を収集し、多角的に立証活動を行う必要があります。また、検察官は、不意打ちを主張する場合には、犯行状況を詳細に立証し、不意打ちの要件を満たすことを明確に示す必要があります。本判決は、今後の類似事件の裁判において、重要な先例としての役割を果たすことになるでしょう。
よくある質問(FAQ)
- 質問1:正当防衛を主張する場合、誰が立証責任を負いますか?
回答:正当防衛を主張する被告人側が立証責任を負います。検察官は、正当防衛が成立しないことを立証する必要はありません。 - 質問2:正当防衛が認められるための「不法な攻撃」とは具体的にどのような行為を指しますか?
回答:生命、身体、自由に対する現実的かつ差し迫った危険を伴う不法な行為を指します。口頭での脅迫だけでは、原則として「不法な攻撃」には該当しません。 - 質問3:不意打ちが認定されると、刑罰はどのように変わりますか?
回答:不意打ちが認定されると、通常の殺人罪よりも重い刑罰が科されます。具体的には、終身刑または死刑となる可能性があります。 - 質問4:目撃者の証言が事件の判決に大きな影響を与えるのはなぜですか?
回答:目撃者は、事件の発生状況を直接見て、聞いた人物であり、その証言は客観的な事実を反映している可能性が高いからです。裁判所は、目撃者の証言を重要な証拠として重視します。 - 質問5:本判決は、今後のフィリピンの刑事裁判にどのような影響を与えますか?
回答:本判決は、正当防衛の立証責任と不意打ちの認定要件に関する重要な先例となり、今後の類似事件の裁判において、裁判官の判断に影響を与えると考えられます。
ASG Lawは、フィリピン法、特に刑事事件に関する豊富な知識と経験を有する法律事務所です。正当防衛、殺人罪、その他刑事事件でお困りの際は、konnichiwa@asglawpartners.comまでお気軽にご相談ください。初回相談は無料です。お問い合わせページからもご連絡いただけます。経験豊富な弁護士が、お客様の権利を守り、最善の解決策をご提案いたします。