違法な自白は有罪判決の根拠とならず:フィリピン最高裁判所の判例解説

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違法な自白は有罪判決の根拠とならず

G.R. No. 96176, August 21, 1997

はじめに

刑事事件において、警察による取り調べは、被疑者の運命を大きく左右する重要な局面です。しかし、取り調べの過程で被疑者の権利が侵害された場合、その結果得られた自白は法廷で証拠として認められるのでしょうか?本稿では、フィリピン最高裁判所の判例を基に、違法な自白の証拠能力と、刑事裁判における適正手続きの重要性について解説します。この判例は、警察の違法な取り調べによって得られた自白は証拠として認められず、そのような自白に基づいて有罪判決を下すことは許されないという、刑事司法における基本原則を明確に示しています。冤罪を防ぎ、公正な裁判を実現するためには、取り調べの適正手続きが不可欠であることを、本判例は改めて私たちに教えてくれます。

法的背景:憲法と取り調べにおける権利

フィリピン憲法は、刑事事件の被疑者に対し、黙秘権および弁護士の援助を受ける権利を保障しています。これは、拷問や虐待による虚偽の自白を防ぎ、被疑者が不利な状況に立たされることを防ぐための重要な権利です。具体的には、フィリピン憲法第3条第12項において、以下のように規定されています。

「第12項 (1) 逮捕または拘留された者は、沈黙する権利、弁護士(望む場合は弁護士)の援助を受ける権利、および親族または選任した人物に拘留およびその他の状況を知らせる権利を有する。これらの権利は放棄することはできない。弁護士の不在下での宣誓および無宣誓の自白または供述は、証拠として利用してはならない。裁判所は、弁護士が被拘禁者の権利を効果的に保護することを保証しなければならない。

この規定は、警察による取り調べ(custodial investigation)が開始された時点から、被疑者がこれらの権利を行使できることを意味します。取り調べとは、捜査機関が犯罪の嫌疑をかけられている者から情報を収集する活動全般を指し、逮捕後の取り調べだけでなく、逮捕前の任意の同行を求められた場合や、警察署内で事情聴取を受ける場合も含まれます。重要なのは、捜査機関が被疑者から自白や供述を得ようとする意図が明確になった時点から、憲法上の権利保護が開始されるという点です。

過去の最高裁判所の判例(Gamboa v. Cruz, 162 SCRA 642 [1988]など)も、取り調べ開始の時点を広く解釈しており、捜査官が被疑者から自白や情報を引き出そうとする動きがあれば、直ちに弁護士の援助を受ける権利が発生すると判示しています。また、権利放棄は書面で行われ、弁護士の面前で行われなければ有効と認められません。これらの法的原則は、被疑者の人権を尊重し、公正な刑事手続きを保障するために不可欠なものです。

事件の概要:人民対イスラ事件

本件は、ゼナイダ・イスラ被告が、6歳半の少女マリーテス・オルガネズを誘拐した罪で起訴された事件です。起訴状によると、イスラ被告は共犯者と共謀し、マニラ市内で少女を誘拐し、売却目的で自由を奪ったとされています。地方裁判所は、イスラ被告を有罪と認め、終身刑を言い渡しました。しかし、最高裁判所は、地方裁判所の判決を破棄し、イスラ被告を無罪としました。その理由は、主に以下の2点です。

  1. 伝聞証拠の偏重:地方裁判所は、被害者の父親や近隣住民の証言など、伝聞証拠に大きく依存して有罪判決を下しました。しかし、これらの証言は、誘拐の状況を直接目撃したものではなく、又聞きや推測に基づくものでした。
  2. 違法な自白の証拠採用:地方裁判所は、イスラ被告が警察の取り調べで作成した供述調書(自白)を有罪の有力な証拠としました。しかし、この供述調書は、弁護士の援助なしに、かつ違法な手段で作成されたものであり、憲法が保障する被疑者の権利を侵害するものでした。

最高裁判所は、これらの点を重視し、検察側の証拠は合理的な疑いを差し挟む余地がないほどに被告の有罪を証明するには至っていないと判断しました。特に、自白の任意性・適法性に疑義がある場合、それを有罪の主要な根拠とすることは許されないという判断は、刑事裁判における証拠法則の重要な原則を再確認するものです。

事件の経緯を詳しく見ていきましょう。被害者マリーテス・オルガネズの父親であるアマドール・オルガネズは、1987年4月4日の夕方、娘が失踪したことを知りました。近隣住民からの情報で、妊娠した女性が自宅付近にいたことが判明しました。その後、アマドールは、以前のクラスメートであるゼナイダ・イスラという女性が自宅を訪れた後、子供が行方不明になったというシャーリー・マルティネスという女性と出会いました。さらに、アマドールはローラ・ダンディングという女性とも出会い、彼女の孫娘もイスラ被告によって連れ去られたと聞きました。

1987年7月18日、警察はイスラ被告を逮捕しました。アマドールが警察署に行くと、イスラ被告はパンパンガ州サンシモンに子供を迎えに行くように言いました。同日、アマドールは警察官らと共にパンパンガ州に向かい、マウラ・「オラン」・マバロットという女性に会いました。マウラは、写真に写っているマリーテスが、イスラ被告と一緒に自分の家に来た子供であると証言しました。マウラはまた、イスラ被告がマリーテスを養子にしたい人を探していると言っていたと述べました。イスラ被告は、マウラの証言を聞いて、アンヘレス市で子供を売ったと認めました。

その後、一行はアンヘレス市の市場にある雑貨店に行きましたが、子供はマリーテスではありませんでした。イスラ被告はマラボン警察署に連行され、その後マニラ西部警察管区に移送されました。1987年7月21日、イスラ被告は西部警察管区の捜査官パブリト・マラシガン巡査部長の取り調べを受けました。その後、イスラ被告は、弁護士ドミンゴ・ホアキン(市民法律扶助局所属)の立会いのもと、マリーテス・オルガネズをテオフィロ・アブラザに養子に出したことを認める供述調書を作成しました。

一方、イスラ被告は、起訴事実を否認しました。彼女は、供述調書の内容を知らず、読んでもいないと主張しました。マラシガン巡査部長が署名すれば釈放すると約束したので、署名するよう誘われたと主張しました。さらに、供述調書に署名したとき、弁護士の援助を受けておらず、弁護士ドミンゴ・ホアキンは供述調書が作成・完成した後で警察署に到着したと主張しました。

最高裁判所の判断:違法な自白と伝聞証拠

最高裁判所は、地方裁判所の判決が、伝聞証拠と違法に取得された自白に基づいており、誤りであると判断しました。裁判所は、まず、検察側の証拠が伝聞証拠に偏っている点を指摘しました。被害者の父親アマドール・オルガネズの証言は、近隣住民からの又聞きであり、誘拐の状況を直接知るものではありませんでした。また、他の証人の証言も、伝聞証拠や推測に基づくものが多く、被告の有罪を合理的な疑いなく証明するには不十分でした。

「本件において、提出された証拠は、推定無罪の盾を打ち破ることに悲惨なまでに失敗しており、検察は単に伝聞証拠に頼っていたに過ぎない。事実から明らかなように、被害者の父親およびその他の検察側証人の証言は、マリーテス・オルガネズの誘拐とされる状況を個人的に認識していたものではなく、単に伝えられた、または彼らに伝えられた事項であり、全体として、有罪判決を法的に維持することはできなかった。」

次に、最高裁判所は、イスラ被告の自白が違法に取得されたものであると判断しました。取り調べを担当したマラシガン巡査部長は、イスラ被告に対し、弁護士の援助を受ける権利や黙秘権を告知せず、取り調べを開始しました。弁護士ドミンゴ・ホアキンが警察署に到着したのは、供述調書がほぼ完成した後でした。また、イスラ被告は、署名すれば釈放されると騙されて自白したと主張しました。最高裁判所は、これらの点を総合的に考慮し、イスラ被告の自白は任意性に欠け、証拠能力を否定しました。

「ガンボア対クルス事件において、我々は、捜査官が容疑者から自白または単なる情報を引き出そうとする動きがあった時点で、容疑者は弁護士の援助を受けるべきであり、権利を放棄する場合を除き、権利放棄は書面で行われ、弁護士の面前で行われなければならないと判示した。」

最高裁判所は、違法な自白に基づいて有罪判決を下すことは、憲法が保障する被疑者の権利を侵害するものであり、許されないと結論付けました。その結果、地方裁判所の有罪判決は破棄され、イスラ被告は無罪となりました。

実務上の教訓とFAQ

本判例は、刑事事件における取り調べの適正手続きと、違法な自白の証拠能力に関する重要な教訓を与えてくれます。警察の取り調べを受けた場合、以下の点に注意する必要があります。

実務上の教訓

  • 黙秘権の行使:警察の取り調べに対し、供述を拒否する権利(黙秘権)を行使することができます。無理に話す必要はありません。
  • 弁護士の依頼:取り調べには弁護士の立会いを求めることができます。弁護士は、あなたの権利を守り、不利益な供述をすることを防いでくれます。
  • 自白の任意性:脅迫や欺罔など、任意性に疑いのある自白は、証拠として認められない可能性があります。不当な取り調べを受けた場合は、弁護士に相談してください。
  • 伝聞証拠の限界:刑事裁判では、伝聞証拠だけでは有罪判決を下すことはできません。直接的な証拠の重要性を理解しておきましょう。

よくある質問(FAQ)

  1. Q: 警察から任意の同行を求められた場合、断ることはできますか?

    A: はい、任意の同行は強制ではありませんので、断ることができます。
  2. Q: 警察署で取り調べを受ける際、弁護士を呼ぶ権利はありますか?

    A: はい、取り調べ開始時から弁護士の援助を受ける権利があります。
  3. Q: 弁護士費用を払えない場合、どうすればいいですか?

    A: フィリピンには、貧困者のための国選弁護制度(Public Attorney’s Office)があります。
  4. Q: 違法な取り調べで作成された自白は、裁判で証拠として使われることはありますか?

    A: いいえ、違法に取得された自白は、裁判で証拠として認められません。
  5. Q: もし警察官が権利告知をせずに取り調べを始めた場合、どうすればいいですか?

    A: まずは黙秘権を行使し、弁護士に相談することを強くお勧めします。
  6. Q: 取り調べの様子は録音・録画されるのですか?

    A: フィリピンでは、取り調べの録音・録画は義務付けられていません。しかし、任意で録音・録画を求めることはできます。
  7. Q: 警察の取り調べで嘘をついたら罪になりますか?

    A: はい、虚偽の供述は罪に問われる可能性があります。黙秘権を行使するのが安全な選択肢です。
  8. Q: 冤罪で逮捕されてしまった場合、どうすればいいですか?

    A: 直ちに弁護士に相談し、弁護活動を開始してもらう必要があります。

ASG Lawは、刑事事件に関する豊富な経験と専門知識を有する法律事務所です。本稿で解説したような違法な取り調べや冤罪事件でお困りの際は、ぜひ当事務所にご相談ください。経験豊富な弁護士が、あなたの権利を守り、最善の解決策をご提案いたします。

ご相談は、konnichiwa@asglawpartners.com または お問い合わせページ からお気軽にご連絡ください。ASG Lawは、マカティとBGCにオフィスを構える、フィリピンを拠点とする法律事務所です。刑事事件、企業法務、知的財産など、幅広い分野でリーガルサービスを提供しています。




Source: Supreme Court E-Library
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